きらびやかでもないけれど、
この一本の手綱(たづな)をはなさず
この陰暗の地域をすぎる!
その志(こころざし)明らかなれば
冬の夜を、我は嘆かず、
人々の憔懆(しょうそう)のみの悲しみや
憧れに引廻(ひきまわ)される女等の鼻唄を、
わが瑣細(ささい)なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。
蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)か儀文めいた心地をもって
われはわが怠惰を諌(いさ)める、
寒月の下を往きながら、
陽気で坦々として、しかも己を売らないことをと、
わが魂の願うことであった。
【中原中也】
この詩に初めて出会ったのは、はるか昔の10代の終わりでした。
しかし日々の暮らしの中で、噛みしめ 反芻(はんすう)したのは、社会人になってからです。
きらびやかでもない1本の手綱を放さず。冬の時を、いたずらに嘆かず、陽気でたんたんと生き、しかも最後に己を売らない。
この言葉を、いつもそばに置いていたからこそ、葛藤も衝突も多かった社会人生活を乗り越えられた面があります。そんな経験が重度の中途障害者になっても、何とか精神的に持ちこたえられた一因にもなったと思います。
「手綱」は中也にとっては「創作(詩)」ということだと思いますが、私もささやかな手綱を、この先も一生放さず生きたいと思っています。
それじゃ~また