柱も庭も乾いている
今日は好(よ)い天気だ
椽(えん)の下では蜘蛛(くも)の巣が
心細そうに揺れている
山では枯木も息を吐(つ)く
ああ今日は好い天気だ
路傍(みちばた)の草影が
あどけない愁(かなし)みをする
これが私の故里(ふるさと)だ
さやかに風も吹いている
心置(こころおき)なく泣かれよと
年増婦(としま)の低い声もする
ああ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云(い)う
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中也と同じ山口出身の友人は、「中也はどんでもないおぼちゃまや!」と憤慨しその詩を認めていませんでした。
同じ世代の太宰治も坂口安吾も同じように、実家はとんでもなく豊かです。この時代、作家を志す人間の多くはそうだったのです。ただし、先輩の石川啄木は経済観念がなくひどく貧乏だったようで、友人・知人から生活費や遊戯費を借りまくっています。
ですが、私は中也や安吾の作品が好きです。とりわけ若い時、安吾の物事の本質を正確に射抜く視線や美意識に強く引き付けられました。
今回は中也の第二弾「帰郷」です。久々、故郷に帰郷するときこんな気がふとする人もあると思います。華やかさとは無縁ですが、号泣してもいいんだと、心が慰められるのです。
ただ、中也や啄木といった人は、現実には付き合いたくはない。そんな人物だった気がします。
それじゃ~また