不適切求人 その2 [障害者として生きる]
【神戸新聞2018年11月2日】
前回と同じ「不適切求人」の記事です。
障害者雇用の水増しの問題も同じですが、彼らは建前と本音を見事に使い分けます。民間企業には罰則などで縛っても、自分たちだけは、いつも圏外で罰則なし。
私も障害者となった当初、市役所の窓口で市の1年契約の体育館管理の仕事を紹介された際「自力通勤できることが条件です。仕事は、管理と掃除などの簡単なものです」と言われてひどく驚いた経験があります。私はよたよたと杖を突いて女房に付き添われて窓口を訪れていたのです。
これだと女房に毎日の送り迎えを頼まないといけない。「掃除は片麻痺の私にはひどく難しいが、あなたがやっている窓口業務なら、私もできます」と言いそうになった。
条件は他にもあって「土日は必ず出勤する」ことです。これで一日8時間月25日働いて、給与は13万弱。生活保護基準とほぼ同じ。さすがに女房はやめてくれと言いました。
障害者には、役所の仕事さえ、こんな厳しいのかと、私はがっくりきました。
それじゃ~また
暴走老人(3)ストーカー行為「やり残したことがあるそれは恋愛だ」 [障害者として生きる]
高齢男性のストーカー行為について「老人たちの裏社会 新郷由起著」から私が印象に残った記述をピックアップします。
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◆高齢男性が女性の親切や善意による言動を自分への特別な好意と勘違いし、思い詰めて暴走するケースは突出して多い。
人生の終盤を迎えタイムリミットを自覚した高齢男性が決まって口にするのは「やり残してることがある。それは恋愛だ」というものです。
確かに世代によっては適齢期になったから身近な相手と結婚した。親族や世話人が勝手に縁談を進めたなど結婚して子供をもうけたけど本物の恋愛は未経験と言い放つ高齢者は呆れるほど多いのだ。
◆ 仕事を辞めてやることが見つからず、心にぽっかり空いた穴を埋めるのに、もってこいなのが恋愛だというのです。
高齢者では次は、ないかもしれないという焦燥感から目の前に現れた対象者に異常なほど重いで「人生最後の恋」とばかりに執着する。
その過程の中で本人のこうあって欲しいという願望も入り混じり、現実と妄想ごっちゃにして 自己都合のストーリー化を進めていくのです。
高齢者は拒絶型ストーカーがほとんどで交際にすらは至っていないのに、 勝手に思い込み勘違いを続けた挙げ句に、裏切られたと逆恨みして、言動がエスカレートしていくのです。
ストーカー行為者に罪の意識はなく自分は正しいとの信念に基づいた行動のため認識や言動を温めるという発想はなく悪いことはしていない当然のことをしているという感覚しかありません
◆ 行為に及ぶのは認知.検挙数では統計上は単身者の男性が多いとされるが、こと高齢者に限っては妻帯者か否かは関係ない。
対外的に孤独でなくても精神的に孤独なのです。既婚者でも既に子供は独立し皆それぞれ勝手に過ごしている。表面的には 労って(いたわって)もらえているようでも心の中では、馬鹿にされ、軽視され、邪険にされている事実に気付いてるのです。
日常の生活の中で注意も関心も持たれない自分。 ましてや褒められたり敬われる(うやまわれる)こともない。 これまでは仕事で 紛れていたけれども誰にも大事にされていない自分をいよいよ自覚してその寂しさや心の空洞を埋めるべく偶像化した相手に一気にしがみついてしまう
根底にあるのは 「俺の寂しさ、悲しさを何とかしろ!」といった意識ですが、加害者は皆孤独です。心が病んでいる。心の方向展開とケアが必要です。
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あぁ~なんと情けない!男性は高齢になるとこうなるのか!?
これまでの人生で苦い思いをし蓄積した経験とか知恵とかは、もう何の力も、もたらさず、そこには単なる本能だけで生きる醜い勘違い人間が存在するだけなのか!?
それなら、バカにされ、軽視され、邪険にされるのも仕方ないとも思えますが、高齢者の悲惨さ、女は万引き、男はストーカ。私もこうなるのか、暗澹たる思いがします。
そうならないためにはどうすればいいのか。これからも「老い方講座」で引き続き考えていきたいと思います。
それじゃ~また