夏休み 吉田拓郎 [映画・音楽・美術]
夏休み 吉田拓郎
障害者を透明人間にする人(4)障害者の存在を消し去る [障害者として生きる]
園長 様
お気遣いありがとうございます。
ただ、私の認識と大きなギャップがあるようなので、その点について少し述べさせてください。
私は何より怒りの感情を伝えたかったのです。一人の障害者のおじさんがなぜこんなに怒っているのか。自分たちの行動が、なぜこんなにも大きな怒りを生んだのか。理解していただきたかったのです。
ただ、少し大げさだったかもしれません。これは大いに反省しております。
私は重度の障害者になって、初めて気づいた事があります。それは、障害者の存在を初めからなかったものとして、立ち振舞いされる方がおられるということです。
私は普段市の体育館の周辺でリハビリすることが多いせいか、中学校のクラブ活動とよく一緒になります。中学生の多くは私は見かけると「こんにちは」挨拶をしてくれるのですが、問題は、先生の中に私を完全に無視すると言うか、存在していない者として振る舞われる方がおられるのです。
今回も同じケースです。私が怒ったのは、その存在を消されてしまったからです。
私は何も難しいことを言っているのではありません。一言「こんにちは」と挨拶くれればよかったのです。もし私が障害者でなければ、もっと気楽にお声掛けいただけたのでは、そう思うのは私の穿(うが)ち過ぎでしょうか。
今回の問題は先生個人が謙虚だったかどうかの問題でありません。多少大げさに言わせていただければ、障害者の存在を消し去った「人権」の問題です。そこをお手紙を読ませていただいても理解されていないと感じました。
私からすれば、障害者ゆえ存在を消された「人権」の問題だったのです。
相模原の障害者殺傷事件でもこのことを、論点で取り上げられた方がおられました。この様な中で園児を指導される立場にあるあなた方の立ち振舞が私には許せなかったのです。
大変厳しいことばかり申し上げました。お許しください。幼児教育に携わられる人たちへ、一障害者からの要望であると、ご理解ください。
-------------------------------
メガネサル 様
改めてお返事を頂き、ありがとうございました。
仰るように私自身が人に対してという安直な考え方でお返事を出していたことを改めて恥ずかしく感じました。
障害者の存在を消し去った「人権」について考えるより、人に対して失礼な態度をしたということに重きを置いてしまいました。
今回、メガネサル様には本当に失礼なことをしてしまいましたが、園として考えなければならない大きな課題がみつかり、子どもに対する指導はもとより、自分達自身がもっと色々な面で反省し、心を入れ換えていかなければならないと感じております。
今後ともお気づきの点がありましたら、ご指導頂きますよう、よろしくお願い申し上げます。
・見えないから怖い
・知らないから知っているふりをして怖さをごまかしたい
・よく分からないから遠ざけたい
これは「普通の人」が「不可解な人」に対して抱いてしまう典型的な差別と偏見ですが、それは時に差別対象への攻撃性として現れることがあります。
ーーーーーーーーーーーー